4月はっけん授業 関ヶ原古戦場巡り

4月16日にはっけん授業に行ってきました。

今回は関ヶ原の戦いの跡を巡ります。

8時半に教室に集合して、岐阜県の関ヶ原を目指します。

10時に関ヶ原の古戦場記念館につきました。

そこでガイドさんと合流します。

今回もガイドさんに案内してもらいながら、関ヶ原の古戦場を巡ります。

 

まずちょっと関ヶ原の戦いについて軽く説明します。

戦国時代の終わり、天下統一した豊臣秀吉の死後、豊臣家をしっかり支えようとした石田三成(西軍)と、自分が天下を取ろうとした徳川家康(東軍)との戦いです。

石田三成率いる西軍は小早川秀秋が裏切ったことで総崩れとなって、負けてしまいます。

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は江戸幕府を作って平和な世が訪れます。

 

まずは古戦場記念館の近くの史跡を見学します。

古戦場記念館のすぐ横にある、徳川家康の最後陣地です。

関ヶ原の戦いのとき、家康がここまで陣を出してきて、ここで戦いが終わります。(最初にいた陣地はまた後で行きます。)

ここは最後陣地のすぐ横にある、首実験の場所です。

首実験というのは敵の首が本当に本人かどうかを確認することです。

ここは戦いの後荒れていたそうですが、江戸時代にきれいにしたそうです。

この目の前を街道(確か中山道)が通っています。参勤交代をする大名たちがここでこの跡を見て、関ヶ原での徳川家康の偉業を思い出すためにここをきれいにしたそうです。

ここは東首塚。

関ヶ原の戦いで犠牲になった人たちを埋めた場所だそうです。

今は木が植えてあるだけですが、元々はすごく大きい山のようになっていたそうです。

この横を線路が通っていますが、鉄道を作った時にたくさんの人骨が出てきたそうです。

ここは本多忠勝の陣地。

本多忠勝は徳川四天王の一人で桑名の町を作った武将です。

今年の大河ドラマの「どうする家康」でイケメン山田裕貴がやっているので、人気が出てきているそうです。

ここは民家の間の細い道を通らないと行けないところです。

「どうする家康」が放送されるまで本田忠勝はあまり人気はなくてここにガイドに来ることはあまりなかったそうですが、今年は本田忠勝はすごく人気が上がってここもガイドに来ることがかなり増えたそうです。

うちは流行りに乗ったというより、桑名に関係ある武将ということで案内してもらいました。

本田忠勝の陣跡は今は民家の間にあるのですが、でも実は本多忠勝の陣はそこにはなかったそうです。

関ヶ原には陣跡がたくさん残っていますが、実際の場所とは違うことが多いそうです。

その理由は、街の開発が進んで、陣跡に道ができたり人の土地になったりしたので、その近くの空き地や市の土地に陣跡の碑を立てているからだそうです。

で、実際に本多忠勝の陣があったところはここ↑

池があるのですが、その横に陣を構えていたそうです。

そんなことはどこにも書いてません。ガイドさんがいないとわからない情報です。

この池の上は新幹線が走っています。

 

次に徳川家康が最初に陣をはったところに行きました。

ここは桃配山(ももくばりやま)という、ちょっと高いところです。

桃配山というのは少し変わった名前ですが、これもちゃんとした話があるそうです。

壬申の乱(672年に起きた、天智天皇の息子の大友皇子と天智天皇の弟の大海皇子との戦い)のときも、関ヶ原で戦ったそうです。

そのとき大海皇子(壬申の乱に勝ってのちに天武天皇になる)がこの山に布陣して、兵士に山桃を配ったそうです。

それで兵士の士気が上がって、戦いに勝てたそうです。

その話からこの山を桃配山というようになったそうです。

で、家康はその話を知っていて、その話にあやかってここに布陣したそうです。

ちなみに今この山には桃の木は生えていません。

 

次に行ったのが関ヶ原の戦いの決戦地です。

ここが戦いの最後に一番戦闘が激しかったところだそうです。

ここは石田三成の陣の近くです。

かなり攻め込まれていたことがわかります。

なので、そのまま石田三成の陣に行きたいところなのですが…、腹が減っては戦ができぬということで、昼ご飯を食べに行きました。

ガイドさんオススメのお店で釜飯とうどんのセットを食べました。

 

ご飯を食べたらさっき行こうとしていた、石田三成の陣地に向かいます。

石田三成の陣地は山の上にあるので、ちょっと登るのが大変です。(登る時間は5分もかからないぐらいですが。)

ちなみにこの写真にある木の柵は馬を止めるための柵です。

戦いの時はこれより前に、竹でできた柵(壁みたいな感じ)があって、その竹の柵は鉄砲の玉を防ぐものだったそうです。

こんな感じで一番上まで階段が続きます。

一番上の三成の陣地からは関ヶ原が一望できます。

どこに誰が陣をはっていたかなどを教えてもらいました。

ここからなら戦いの様子が全てよくわかったと思います。

 

次は大谷吉継(よしつぐ)の陣跡に行きました。

大谷吉継は石田三成の友達です。

大谷吉継は関ヶ原の戦いの時は負けるのがだいたいわかっていましたが、それでも友のために戦いに駆けつけます。

しかもその頃大谷吉継は病気で体が自由に動かせない状態でしたが、輿(こし)に乗って参戦します。

大谷吉継の陣跡も山の中にあるので、また山登りです。

さっきの石田三成の陣地のように階段はないので、普通の山登りです。

こんな道を5分は歩きます。

ここが大谷吉継の陣跡です。

今は山の林の中ですが、戦いがあった頃はここまで木は生えてなかったそうです。

それに木が生えてても陣を作るときに木は切り倒すそうです。

ここは大谷吉継のお墓。

大谷吉継は負けるとわかった時に家来の湯浅五助に「自分の首は絶対に敵に渡すな」と言って切腹します。(その頃大谷吉継は病気(ハンセン病)で顔の形が変わってしまっていました。だから顔を見せたくなかったようです。)

そして湯浅五助はこの辺りに首を埋めます。

しかしその埋めているところを敵に見つかってしまいます。

そこで、湯浅五助は「ここに首を埋めたことは黙っておいてほしい、その代わり自分の首を持っていってくれ」と言います。

それを聞いた敵その約束を守り、湯浅五助の首を持って家康の元に戻ります。

家康は大谷吉継の首のありかを聞こうとしますが、湯浅五助は言わないと約束したので、絶対に首の場所を教えることはありませんでした。

その約束を守る姿を見た家康は、それは立派だということで褒美を与えたそうです。

 

ちなみにこの写真は大谷吉継のお墓の裏です。

最近このお墓の下の部分(写真の丸をつけた部分)に文字が書いてあるのが見つかったそうです。

素人が見ても文字が書いてあるようには全く見えません。

そこにこの墓が建てられたのは、関ヶ原の戦いの数年後と書かれていたそうです。

関ヶ原の戦いの数年後にお墓が建てられているのは大谷吉継だけだそうです。

今でも大谷吉継は人気があるので、花も添えられていますし、御供物や手紙も置かれていました。

 

次は宇喜多秀家(西軍)の陣跡に行きました。

宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで負けて逃げますが、なぜか匿われて生き延びます。(西軍の武将はほとんど捕まって殺されています。)

しかし、匿われていることがバレて、捕まってしまいます。

しかし死刑は免れて、八丈島に島流しになります。

八丈島はココ↑

こんな遠くの島に流されますが、この島で84歳まで生きたそうです。

 

次に行ったのは関ヶ原の戦いの開戦地。

ここで関ヶ原の戦いが始まったそうです。

この後ろに「開戦地」と書いた記念碑が建っていますが、これも諸々の事情でこの場所に建っているだけで

実際の開戦地はこの写真の田んぼの中だそうです。

 

そして最後に行ったのが島津義弘(西軍)の陣跡です。

島津義弘は西軍ですが、最後まで軍を動かしませんでした。(西軍の味方をしなかった。)

そして戦いの決着がついた時、島津義弘は切腹しようとします。

しかし家来に止められて、戦場から脱出することにします。

戦場はもう西軍はみんな逃げた後で、残っているのは敵だらけです。

その状況で島津義弘はなんと家康の本陣の方に向かって軍を進めます。

敵に背を見せて逃げるのではなく、敵の真ん中を突破して戦場を脱出したのでした。

そんな島津義弘は地元鹿児島のヒーローです。

だから今でも毎年鹿児島からここにきて、島津義弘が逃げたルートを歩いている人がいるそうです。

その参加者の記念碑も建っています。

本当に何十年か前から今までに来た人の名前が全部彫られています。

中には中学生ぐらいの子の名前もあります。(全員年齢も書いてある)

それぐらい島津義弘は鹿児島で尊敬されているそうです。

 

 

ガイドさんのガイドはこれでおしまいです。

10時からお昼をはさんで3時までいろんなところを回って、たくさん解説していただきました。

 

そして最初の関ヶ原古戦場記念館に戻って来ました。

最後は記念館の中を見学します。

この記念館は2、3年前にできたばかりのきれいなところで、映像がすごいと評判です。

なので、そのシアターも見ました。

大画面、大音量の映像に合わせて、風が出たり、椅子が揺れたりします。

だから実際に戦場にいるかのような体験ができます。

シアター内は写真撮影禁止なので、写真はないのですが

みんな終わった後「映像がすごかった」「ああいうのを学校の授業で流すべき」とすごく興奮していました。

記念館はそのシアターだけでなく、普通の展示もあります。(そこも写真禁止なので、写真はないのですが…)

刀を持って重さを感じたりできる、体験コーナーは写真撮影OKでした。

あと、記念館の一番上は展望フロアになっていて関ヶ原が一望できます。

という感じで、最後は関ヶ原古戦場記念館を見て、

帰ってきました。

 

 

 

今回は古戦場巡りで結構歩いてみんな疲れた感じでしたが、最後の記念館のシアターがすごくて最後までみんな元気でした。

小学生はまだ関ヶ原の戦いを習っていないので、難しかったかな?と心配していましたが

帰りには小学生の子が「先生はどの武将が好き?」と聞いてきて私が「大谷吉継」と答えると「僕も!」と言っていました。

たぶんその子は最初大谷吉継なんて知らなかったと思いますが、このはっけん授業の中で覚えてくれたので、すごくよかったです。